朝のファミレスで隣に座った3人。
真新しいスーツに自信のなさそうな緊張顔の若い男性。いっしょにいるのは両親か。
母親らしき人「会社の中には入れないの?」「待合室とかあるの?」
男性(小声で)「知らないよ」
父親らしき人「まあ、外で待つか」
母親らしき人「でも、心配だし。外は寒いし、今日は昼から雨みたいだし‥」
なんの話だろうと思いつつ、ヒマだったのでなんとなく聞いていると、就活に行く息子につきそう両親だった。はぁー(ため息)
昔、高校の入学式の時、いっしょに母親が来てる奴がいてビックリした。大学の入学式でもいた。高校で教師をしている友人に聞くと、最近は両親同伴で入学式に来る新入生が多いそうだ。仕事休んできてるのかよ!
しかし、就活まで父兄同伴か。と思って、「父兄」という言葉にひっかかった。家父長制の名残の言葉だなぁ。今なら父母か。
しかし、未だに「奥さん」「ご主人」は日常会話でも使われるな。まあ、何年かしたらこの言葉に代わる言葉もでてくるのか。どんな代名詞がふさわしいのか?
カテゴリー: 独り言
フランス土産
「私たちは原発のない日本をめざします」
HIJK
先日、草食系(と言うかネット恋愛系?)の男性と女性の話をブログに出したところ「反論」を頂きました。まあ、もちろん今の男性女性がみんな、現実の恋愛を拒否して、ネット恋愛で満足しているとは思ってませんでしたが‥。
極端な話を聞きました。カウンターに座った若い女性の「友人たち」の話を。それが、HIJK。
英語は得意ではないけど、アルファベットくらいはわかる。でも、「それは何?」と淹れかけたコーヒーをこぼしながら聞いた。
彼女「2次元相手にしてる人もいるけどね」‥「私の友人たち は、違うよ」
私「どうちがう?」
彼女「(友人たちは)ほとんどHIJK」
私「だから、それは?」
彼女「知り合って、いいなと思ったらHする。で、そのうち好きになる。I(愛)が生まれる。で、もし子ども(ジュニア)Jが出来たらK結婚するの[:赤ちゃん:]」
私「なるほど。で、あなたは?」
彼女「さあね[:?:]」
なんか両極端の話ばかり聞くけど、ノーマル(何が普通か?)な話たくさんあるはず、いや当たり前だから話にならないのか。
バレンタインデーなんか大嫌いだ!
中学校、高校とバレンタインディは、あまりいい思い出はない。
中学時代はゼロだった。高校では、いわゆる義理チョコ1~2個と、そのときに偶然付き合ってたガールフレンドの1個以外はなかった。トホホ。
そんな可愛そうな兄に慈悲深い妹はチロルチョコをくれた。ああ、悲しい思い出。
大学では、やはりみんな大人の付き合いで‥クラブや研究室の女子から義理チョコはいっぱい頂いた。お返し攻撃もすごかったが‥
高校時代の友人には女の子から何十個も本命チョコをもらう奴がいて、彼は「どうせいっぱいもらうでしょうから‥」と、もらったチョコを入れる手縫いの大きな布袋まで毎年もらっていた。
しかし、彼は毎年2月14日に全校の男子生徒から、まるで極悪人を見るような目で見られ、その日、彼と一緒に登下校する友人はいなかった。(何の罪もないのに巻き添えをくうのでは‥と心配したからだ)
と、どうでもいい思い出話をするために書いたのではなく‥
2月11日(土)~13日(月)に当店をご利用いただいたお客様に、バレンタインプレゼントをします。
もてない君!これでゼロ脱出だ! でも、ささやかな、ささやかな、プレゼントですから‥
辺野古の海
昨年の夏に沖縄「ヒロコーヒーファーム」に行く途中、辺野古の海の美しさに心を奪われた。
この美しい海に米軍基地が‥と思うと、未だにアメリカに占領されている日本政府に怒りを覚えた。
まだ、4大紙は確認していないが、沖縄タイムス(2/4電子版)の報道では‥
(以下一部引用)
在沖米海兵隊のグアム移転計画をめぐり、米国防総省が米議会との水面下の交渉で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への代替施設建設を断念する意向を伝達していたことが3日、分かった。同飛行場の移設・返還については日米間で協議をやり直す見通し。複数の米議会筋が本紙の取材に対して明らかにした。(以下略)
もちろん、アメリカの対中国戦略の変更という点もあるだろうが、沖縄住民の辺野古移設反対運動が大きな影響を与えたのは間違いない。しかし、普天間はどうなるのか?
あっ、今日の沖縄タイムスの写真、入手しました。↓
どーーーーでもいい話
(注:時間と文字を読む労力のもったいない方は、精神の安定のため、これ以上読まないでください)
どーーでもいい話をサラリーマン時代、上司・取引先から聞かされることは多々あった。たぶん多くの人がフンフンとうなずくだろう。
友人や同僚なら「ああっ!ショーもない。帰って寝るわ」と言ってその場から離れることが出来るのだが、上司や取引先が相手では、拷問に耐え忍ばなければならない。
もう5回も聞いたホールインワンの話や、見たこともない孫の運動会の活躍や若い頃モテまくった話や、有名人といっしょに飲んだ話(同じ店にいただけだろ)や真偽の疑わしい武勇伝や‥‥‥どーーでもいい話ばかりだ。
で、ここで私もどーーーーでもいい話をひとつ。
実は、このブログ、今日で連続6日続いているのです。これはブログ開設以来初の快挙です。
あっ!物を投げつけないでください。オーッ殴らないでください。
「マスマーケットの終焉」論
私の尊敬するE珈琲のオーナー(以下E氏)のブログに「マスマーケットの定義とマスの終焉」という文章を見つけた。
E氏は珈琲に精通ししているだけでなく、経済動向にも広い視野を持っている。
「マスマーケットの定義とマスの終焉」はもともとは英語の経済論文(セスゴーディン氏「Please consider WEIRD」)で、E氏が翻訳し、要約してくれている。私のように経済学や経営学の素人でもわかるように身近な例をあげてくれているので、よくわかる。
以下、私なりの解釈。マスマーケット(巨大な市場)は当然、大量生産、大量消費を前提としている。洋服にしてもオーダーメイドや自作の服を使う人はごく少数。自分が、この色のこの形のこの素材のこの大きさの服がほしいと思っても、ほとんどの人は大量生産されたものの中から選ぶしかない。
E氏があげている例のマスコミもそうだ。新聞には、政治経済記事から気象情報、果ては星占いまで載っている。読者に全ての情報が必要なのではない。
テレビ番組にしても、いくつもチャンネルがあり、早朝から深夜までいろいろな物を放送しているけど、私が見たい番組は週に1つか2つ。
今の若い人の多くは、新聞もテレビも見ないそうだ。ネットで自分に必要な情報を探す。大量の情報を多数の人に流すというやり方が限界に来ている。
ショッピングにしても、店に行って大量生産の商品のなかから自分のニーズに近いものを選ぶというやり方から、ピッタリのものをネットで探し出すという風に変わってきている。
こうなってくると、大量消費をあてに大量生産してきたところは困る。かと言って個別のニーズに合わせた生産は今更できない。マスマーケットという恐竜は、絶滅する。
‥というように私は解釈しました。
(考察)個人的には、まだまだ恐竜時代は続くように思える。消費不況の中、人々は大量生産された、より安いものに妥協をしつつ向かう。向かわざるを得ないのではないだろうか。仕事と所得が減り続ける中、消費税を上げようとする政府の下では、消費は「安いもの」に向かい続けるのでは?
下記より引用させていただきました。今回も無断引用です。すみません。
http://d.hatena.ne.jp/ekawa/searchdiary?of=5&word=%2A%5B%C0%B8%B3%E8%A4%C8%BC%D2%B2%F1%5D
メール
Eメールを使い始めてどのくらいになるだろう?
ウィンドウズ95が発売されて、すぐにパソコンを買った。たぶん、その時からだから17年か?最初のプロバイダーはAOLだったな。
文字が不自由で、サラリーマン時代にも書類をファックスで送っても、相手先から「先ほどファックス頂きましたが‥あの‥なんて書いてあるのでしょう?」と言うような電話を何度か頂いた。
ワープロが出回り始めたときには、ファックスもワープロ打ちして送った。
ウィンドウズ95以降は、だんだんEメールを受け取れる会社も増え、私にとっては救いの神だった。携帯でメールができるようになったのも助かった。
しかし、Eメールが普及してくると、迷惑メールが増えてきて新たな悩みが‥毎日、消すのも一仕事。迷惑メールだと思って消したのが、仕事の大事なメールだった事も何度か。
最近は「先日はありがとうございました」とか「○○です。その後どうですか」など通常メールを装った迷惑メールも‥
今日も迷惑メールが14通。なんとか規制できないのかな。
終末論 2012
終末論。いろいろな宗教で使われる「最後の日」「審判の日」。
もちろん、人類最後の日は、いつかかならず来る。しかし、それは「神」が決めるものではないだろう。もちろん「予言」されるものでもない。
しかし、最近よく聞く終末論は、ちょっと「科学」的?根拠をもっていると言われるものがあり、なぜか2012年らしい。あ、今年だ。
1つは「フォトン・ベルト」に太陽系が2012年12月22日に突入するというもの。なるほど、本当なら科学的だ。しかし、フォトン・ベルトってなんだ?1949年にポール・オットー・ヘッセ氏が言い出したらしい。が、このポール氏はなんとオカルト研究者。これを1981年にシャリー・ケンプという大学生がUFO研究雑誌に投稿し、オーストラリアのオカルト雑誌「ネクサス」が取り上げて、ネットで世界中に広まり、どんどん話が大きくなったらしい。
※フォトンベルトは実在しない。
2つ目は、マヤ暦の終焉。まず、なんで暦が終わるのか?昭和や平成が終わるというのならわかるけど、西暦は終わらない。数字は無限に続く。マヤ暦も終わらないのでは?
調べてみると、マヤ暦は394年を1バクトゥンという単位で繰りかえしている。今年がその13回めの最終年らしい。ところがマヤ神話には、終末が今年と書いてはない。14回目はまた始まるだろう。
マヤ暦の13バクトゥンの最終日が今年の12月22日。フォトン・ベルトと同じだが、これはフォトン・ベルトがこれに合わせたらしい。
3つ目は、惑星二ビルの地球接近。この説を唱えるゼガリア・シッチン氏は、なんと地球人に文明を教えたのは、この二ビル星人?と言ってる。で、ゼガリア氏は当初、二ビルの接近は3400年と言っていた。ところが、最近になって2012年12月に変わった。これもマヤ暦便乗だな。
※二ビルも存在しない
4つ目は、太陽活動の異常活発。これも根拠はない。同じく2012年。 他にもあるらしい。
昔、ノストラダムスの大予言というのが取り上げられ、これを終末論として多くの人が信じたけど、これが正しければ1999年7月に人類は滅びてる。他にも「科学」や予言を装って終末論を唱えて例はたくさんある。1925年2月13日大天使のお告げで、1960年7月14日アメリカの秘密爆弾の爆発で、1967年12月25日教祖の予言で…すべて外れているから、今日もビールが飲める。
昨年の東日本大震災や原発放射線もれなどで、心理的に終末論を受け入れやすくなっているのだろうか。背景には「霊界」などをテレビで取り上げて、「予知」「予言」「預言(神から預かった言葉)」などをもてはやす風潮もあるからな。
たしかに地震や災害は今年も起こるだろうけど、だから終末とはならないと思う。
それより、原発事故の方がよっぽど怖い。「100年安心の年金」と言ってた政治家が未だに政界にいるのも、予言より理解しにくいが…。