「マスマーケットの終焉」論

 私の尊敬するE珈琲のオーナー(以下E氏)のブログに「マスマーケットの定義とマスの終焉」という文章を見つけた。
 E氏は珈琲に精通ししているだけでなく、経済動向にも広い視野を持っている。
 「マスマーケットの定義とマスの終焉」はもともとは英語の経済論文(セスゴーディン氏「Please consider WEIRD」)で、E氏が翻訳し、要約してくれている。私のように経済学や経営学の素人でもわかるように身近な例をあげてくれているので、よくわかる。
 以下、私なりの解釈。マスマーケット(巨大な市場)は当然、大量生産、大量消費を前提としている。洋服にしてもオーダーメイドや自作の服を使う人はごく少数。自分が、この色のこの形のこの素材のこの大きさの服がほしいと思っても、ほとんどの人は大量生産されたものの中から選ぶしかない。
 E氏があげている例のマスコミもそうだ。新聞には、政治経済記事から気象情報、果ては星占いまで載っている。読者に全ての情報が必要なのではない。
 テレビ番組にしても、いくつもチャンネルがあり、早朝から深夜までいろいろな物を放送しているけど、私が見たい番組は週に1つか2つ。
 今の若い人の多くは、新聞もテレビも見ないそうだ。ネットで自分に必要な情報を探す。大量の情報を多数の人に流すというやり方が限界に来ている。
 ショッピングにしても、店に行って大量生産の商品のなかから自分のニーズに近いものを選ぶというやり方から、ピッタリのものをネットで探し出すという風に変わってきている。
 こうなってくると、大量消費をあてに大量生産してきたところは困る。かと言って個別のニーズに合わせた生産は今更できない。マスマーケットという恐竜は、絶滅する。
 ‥というように私は解釈しました。
(考察)個人的には、まだまだ恐竜時代は続くように思える。消費不況の中、人々は大量生産された、より安いものに妥協をしつつ向かう。向かわざるを得ないのではないだろうか。仕事と所得が減り続ける中、消費税を上げようとする政府の下では、消費は「安いもの」に向かい続けるのでは?
下記より引用させていただきました。今回も無断引用です。すみません。
http://d.hatena.ne.jp/ekawa/searchdiary?of=5&word=%2A%5B%C0%B8%B3%E8%A4%C8%BC%D2%B2%F1%5D