どーーーーでもいい話

(注:時間と文字を読む労力のもったいない方は、精神の安定のため、これ以上読まないでください)
 どーーでもいい話をサラリーマン時代、上司・取引先から聞かされることは多々あった。たぶん多くの人がフンフンとうなずくだろう。
 友人や同僚なら「ああっ!ショーもない。帰って寝るわ」と言ってその場から離れることが出来るのだが、上司や取引先が相手では、拷問に耐え忍ばなければならない。
 もう5回も聞いたホールインワンの話や、見たこともない孫の運動会の活躍や若い頃モテまくった話や、有名人といっしょに飲んだ話(同じ店にいただけだろ)や真偽の疑わしい武勇伝や‥‥‥どーーでもいい話ばかりだ。
 で、ここで私もどーーーーでもいい話をひとつ。
実は、このブログ、今日で連続6日続いているのです。これはブログ開設以来初の快挙です。
 あっ!物を投げつけないでください。オーッ殴らないでください。

ブルーベリージャム

 県内の有田川町でブルーベリーを栽培している坂上さんが作ったブルーベリージャムを店頭で販売しています。
 ブルーベリージャムと言うと市販品はブルーベリー以外にいろいろな添加物(ゲル化剤、甘味料、保存料、着色料など‥)の入ったものが多いのですが、これはブルーベリーとグラニュー糖だけ。ブルーベリー本来の香味が楽しめます。
 1ビン(200g)590円。開封後は冷蔵保存してください。
         

都市と星 THE CITY AND THE STARS

映画やSF好きな方なら「2001年宇宙の旅」という壮大なスケールの映画・小説をご存知だろう。この作者がアーサー・C・クラーク。
 彼の作品に「都市と星」という作品がある。なんと50年以上前に書かれた作品だが、この作品を思い出す話を最近続けて聞いた。(簡単に言うとこの作品では、人々はメモリーとして存在し、セントラルコンピューターに管理されている)
  
 
 その1:ある若い男性との会話
 私「休みの日とか何やっているんですか」
 彼「溜まった洗濯とか、部屋の掃除、あとはネットで気になったお店で食事くらい」
 私「彼女は作らないんですか」
 彼「ええ、めんどくさいし、束縛されるでしょ」
 私「デートしたいとか、いっしょに旅行したいとか思わない?」
 彼「ぜんぜん。ネットゲームでデートも旅行もできるし、嫌になったらすぐ止められるでしょ」
 私「抱きしめたいとか、セックスしたいとか‥思わない」
 彼「それもネット(仮想)で‥」
 その2 女性客と
 私「彼氏がほしいとか思わない?」
 彼女「全然。2次元でじゅうぶん。傷つくのも嫌だし」
 私「日本の少子化が続くな」
 彼女「こんな国、滅びればいい」
 そう、彼らは現実社会に希望を見出さない。まさに「都市と星」のように自らをメモリー化し、仮想社会に生きることを望んでいる。都市ダイアスパーの住民達のように。
 アーサー・C・クラークが生きていたら、この状況を見て予想通りと喜ぶだろうか。

来たな

 JASRACからお手紙が‥
「音楽著作権のご案内とお店での音楽利用状況のご確認について」フムフム、同封のアンケートに答えよ‥とな。 
 で、アンケートの最後に脅し文句が「音楽の著作権者に無断でご利用になりますと、音楽の利用を差し止めたり、利用開始時にさかのぼって‥刑事上の責任を‥」ああ、おそろしい。[:冷や汗:]
 でも、ウチはBGMは、ラジオだけどな。まあ、時間見つけてアンケート書くか‥‥ん?提出期限1月27日ね。1月27日って今日かよ。 上からだなぁ。
アンケートの内容を見ると店の名前、店の住所、代表者名、自宅の住所‥自宅の住所?!なるほど、違反者は自宅まで行ってでも取り立てるきなのか?コワッ!
      

「マスマーケットの終焉」論

 私の尊敬するE珈琲のオーナー(以下E氏)のブログに「マスマーケットの定義とマスの終焉」という文章を見つけた。
 E氏は珈琲に精通ししているだけでなく、経済動向にも広い視野を持っている。
 「マスマーケットの定義とマスの終焉」はもともとは英語の経済論文(セスゴーディン氏「Please consider WEIRD」)で、E氏が翻訳し、要約してくれている。私のように経済学や経営学の素人でもわかるように身近な例をあげてくれているので、よくわかる。
 以下、私なりの解釈。マスマーケット(巨大な市場)は当然、大量生産、大量消費を前提としている。洋服にしてもオーダーメイドや自作の服を使う人はごく少数。自分が、この色のこの形のこの素材のこの大きさの服がほしいと思っても、ほとんどの人は大量生産されたものの中から選ぶしかない。
 E氏があげている例のマスコミもそうだ。新聞には、政治経済記事から気象情報、果ては星占いまで載っている。読者に全ての情報が必要なのではない。
 テレビ番組にしても、いくつもチャンネルがあり、早朝から深夜までいろいろな物を放送しているけど、私が見たい番組は週に1つか2つ。
 今の若い人の多くは、新聞もテレビも見ないそうだ。ネットで自分に必要な情報を探す。大量の情報を多数の人に流すというやり方が限界に来ている。
 ショッピングにしても、店に行って大量生産の商品のなかから自分のニーズに近いものを選ぶというやり方から、ピッタリのものをネットで探し出すという風に変わってきている。
 こうなってくると、大量消費をあてに大量生産してきたところは困る。かと言って個別のニーズに合わせた生産は今更できない。マスマーケットという恐竜は、絶滅する。
 ‥というように私は解釈しました。
(考察)個人的には、まだまだ恐竜時代は続くように思える。消費不況の中、人々は大量生産された、より安いものに妥協をしつつ向かう。向かわざるを得ないのではないだろうか。仕事と所得が減り続ける中、消費税を上げようとする政府の下では、消費は「安いもの」に向かい続けるのでは?
下記より引用させていただきました。今回も無断引用です。すみません。
http://d.hatena.ne.jp/ekawa/searchdiary?of=5&word=%2A%5B%C0%B8%B3%E8%A4%C8%BC%D2%B2%F1%5D
 
 

メール

 Eメールを使い始めてどのくらいになるだろう?
ウィンドウズ95が発売されて、すぐにパソコンを買った。たぶん、その時からだから17年か?最初のプロバイダーはAOLだったな。
 文字が不自由で、サラリーマン時代にも書類をファックスで送っても、相手先から「先ほどファックス頂きましたが‥あの‥なんて書いてあるのでしょう?」と言うような電話を何度か頂いた。
 ワープロが出回り始めたときには、ファックスもワープロ打ちして送った。
 ウィンドウズ95以降は、だんだんEメールを受け取れる会社も増え、私にとっては救いの神だった。携帯でメールができるようになったのも助かった。
 
 しかし、Eメールが普及してくると、迷惑メールが増えてきて新たな悩みが‥毎日、消すのも一仕事。迷惑メールだと思って消したのが、仕事の大事なメールだった事も何度か。
 最近は「先日はありがとうございました」とか「○○です。その後どうですか」など通常メールを装った迷惑メールも‥
 今日も迷惑メールが14通。なんとか規制できないのかな。
          
            

終末論 2012

 終末論。いろいろな宗教で使われる「最後の日」「審判の日」。
もちろん、人類最後の日は、いつかかならず来る。しかし、それは「神」が決めるものではないだろう。もちろん「予言」されるものでもない。
 しかし、最近よく聞く終末論は、ちょっと「科学」的?根拠をもっていると言われるものがあり、なぜか2012年らしい。あ、今年だ。
 1つは「フォトン・ベルト」に太陽系が2012年12月22日に突入するというもの。なるほど、本当なら科学的だ。しかし、フォトン・ベルトってなんだ?1949年にポール・オットー・ヘッセ氏が言い出したらしい。が、このポール氏はなんとオカルト研究者。これを1981年にシャリー・ケンプという大学生がUFO研究雑誌に投稿し、オーストラリアのオカルト雑誌「ネクサス」が取り上げて、ネットで世界中に広まり、どんどん話が大きくなったらしい。
※フォトンベルトは実在しない。
 2つ目は、マヤ暦の終焉。まず、なんで暦が終わるのか?昭和や平成が終わるというのならわかるけど、西暦は終わらない。数字は無限に続く。マヤ暦も終わらないのでは?
 調べてみると、マヤ暦は394年を1バクトゥンという単位で繰りかえしている。今年がその13回めの最終年らしい。ところがマヤ神話には、終末が今年と書いてはない。14回目はまた始まるだろう。
 マヤ暦の13バクトゥンの最終日が今年の12月22日。フォトン・ベルトと同じだが、これはフォトン・ベルトがこれに合わせたらしい。
 3つ目は、惑星二ビルの地球接近。この説を唱えるゼガリア・シッチン氏は、なんと地球人に文明を教えたのは、この二ビル星人?と言ってる。で、ゼガリア氏は当初、二ビルの接近は3400年と言っていた。ところが、最近になって2012年12月に変わった。これもマヤ暦便乗だな。
※二ビルも存在しない
 4つ目は、太陽活動の異常活発。これも根拠はない。同じく2012年。 他にもあるらしい。
 
 昔、ノストラダムスの大予言というのが取り上げられ、これを終末論として多くの人が信じたけど、これが正しければ1999年7月に人類は滅びてる。他にも「科学」や予言を装って終末論を唱えて例はたくさんある。1925年2月13日大天使のお告げで、1960年7月14日アメリカの秘密爆弾の爆発で、1967年12月25日教祖の予言で…すべて外れているから、今日もビールが飲める。
 昨年の東日本大震災や原発放射線もれなどで、心理的に終末論を受け入れやすくなっているのだろうか。背景には「霊界」などをテレビで取り上げて、「予知」「予言」「預言(神から預かった言葉)」などをもてはやす風潮もあるからな。
たしかに地震や災害は今年も起こるだろうけど、だから終末とはならないと思う。
それより、原発事故の方がよっぽど怖い。「100年安心の年金」と言ってた政治家が未だに政界にいるのも、予言より理解しにくいが…。

3万枚の行方

 先日、来店した年配のお客さん。お目にかかった事がある。‥‥うん、ある。(メモリーフル回転)‥‥‥んー‥んー‥‥思い出せない。 いや、もしかすると、と声をかける。
「ブルーノートのマスターですよね」お客さん、ちょっとビックリして小声で返事「いや、私はブルーノートの関係者です」
 当店の東にある住宅地の中にあるジャズラウンジ「ブルーノート」。もう何年も行っていない。
 思い出した。マスターは他人と話をするのが嫌い。なのに客商売をしている。ここらへんは私も似てる。
 でもジャズの話をすると乗ってくる。いつの間にやら和歌山にあったジャズ喫茶ファンキーの話に。
 マスター「あの店にあったレコードすごい数だったな。どんな曲をリクエストしても、すぐに出てくる」
 私「何枚くらいあったでしょうね」
 マスター「レコードは2万枚以上はあったよ。CDも1万枚はあった」
 私「合計3万枚ですか。すごいですね」
 マスター「どこにいったんだろう」‥話は続く。
 レコードにしてもCDにしても1枚3000円としても、全部で9000万円。
 いや1億円は越えるだろう。今では手に入らない名盤もたくさんあっただろう。
 無口な2人を雄弁にしてしまう思い出話だった。